日本語における軟口蓋破裂音の硬口蓋化
調音結合の話をする前に、以前のページで取り上げた日本語の軟口蓋破裂音の硬口蓋化を、ここで改めて取り上げます。
日本語において、「蚊」(カ)と「木」(キ)の語頭子音を比べると、後者では後舌と軟口蓋で閉鎖をつくると同時に、前舌が硬口蓋に近づく傾向にあります。つまり、[k] が硬口蓋化した [kʲ] になる傾向になるということです。
日本語における軟口蓋破裂音の硬口蓋化
木(キ): [kʲi]
cf. 蚊(カ): [kɑ]
では、なぜ「キ」の子音はこのように調音されるのでしょうか?
これは、「キ」の母音 [i] がどのように調音されるかを考えれば、理解することができます。母音(1)のページで取り上げたように、[i] は非円唇前舌狭母音で、舌の最高点が硬口蓋に近づきます。語頭子音 [k] を調音する際に、この母音の調音のための舌の動き(すなわち前舌の硬口蓋への接近)が先取りされることで、[kʲ] になったと解釈することができます。
英語における唇歯鼻音
破裂音・鼻音のページにおける唇歯鼻音のところで取り上げた英語の例も、同様のケースとみることができます。
英語において symphony という単語のmで綴られる部分は、唇歯鼻音で調音される傾向にあります。
英語の唇歯鼻音
symphony [sɪɱfəni]
これは、当該子音のところで口蓋帆が下げられる(鼻音の調音をする)のと同時に、次の [f] のための上歯と下唇による調音が先取りされることで、[ɱ] になったのだと解釈することができます。
調音結合
上に挙げた二つの例は、ある音の特徴が別の音に及ぶことがあることを示していました。このように、ある単音の調音の特徴がその前や後ろに及ぶことを「調音結合」(coarticulation)といいます。上の例はいずれも、後ろの音の特徴(前舌と硬口蓋の接近や上歯と下唇の閉鎖)が前の音に及ぶ例でしたが、前の音の特徴が後ろの音に及ぶこともあります。
上の二つの例には違いもあります。英語の唇歯鼻音は複数の音声器官の動きが重なる例であり、口蓋帆の下降(鼻音の特徴)と下唇の上歯への接触(唇歯音の特徴)という二つの音声器官の動作が重なり合うことで生み出されます。これに対し、日本語の軟口蓋破裂音の硬口蓋化は、舌という一つの音声器官の動きのみが関わっています。
調音結合と同化
調音結合は、音韻論における「同化」(assimilation)という現象と類似しています。調音結合と同化の違いは、前者が音声学的現象であるのに対し、後者が音韻論的現象であるということができます(Recasens 2018: 第1節)。ただし、そもそも音声学的現象と音韻論的現象の区別自体が単純ではなく、言語学において繰り返し議論されています。
特定の現象が調音結合の例として言及されることもあれば、同化の例として言及されることもあります。上に挙げた日本語の硬口蓋化と英語の唇歯鼻音の例も、同化の例として挙げられることもあります。特定の現象が調音結合なのか同化なのかは、しばしば研究上の問いとなります。
参照文献
Recasens, D. (2018). Coarticulation. Oxford Research Encyclopedia of Linguistics. [論文リンク]