はじめに

外国語・第二言語の音声の教育や学習においてはしばしば,その言語の標準的な変種(例えばイギリス英語における Received Pronunciation,アメリカ英語における General American,日本語における「標準語」や「共通語」)が理想とされることがあります。しかし,これらを目標とするべきなのかという議論も,近年ではなされています。

英語教育における議論

英語には多様なバリエーションがあります。イギリス英語・アメリカ英語の中にバリエーションがあるだけでなく,オーストラリア英語,ニュージーランド英語,シンガポール英語など,一口に英語母語話者といっても,一様ではありません。また,英語母語話者以外でも英語を用いる人は世界中に数多く存在していて,そのような第二言語・外国語としての英語話者の数は英語母語話者数を超えます。そのような状況において,母語話者の英語やそれを外国人が学ぼうとするときの「外国語としての英語」(English as a Foreign Language)とは別に,「国際英語」(International English, English as an International Language)や「リンガフランカとしての英語」(English as a Lingua Franca)という概念も唱えられるようになってきています。

「外国語としての英語」(EFL)と「国際英語」(EIL)における発音の目標について,Jenkins (2002) は次のように論じています。

したがってイギリスでは,社会言語学者が常に認識していた事実が,急速に意識されつつある:すなわち,地域変異は(許容可能な)規則であり,(許容されない)例外ではないということだ。EFLやその他の現代外国語のケースに目を向けると,学習の目的は,その定義上,その言語の母語話者とのコミュニケーションを促進するために,「外国人」として対象言語を話せるようになることである。ここでは,発音指導の目標は,その言語の母語話者によって理解されうる程度に母語話者の発音に近づけるべきだと主張するのが合理的である。この場合,教育上のモデルの選択は(あるいは選択であるべきは),学習者の目標とする母語話者コミュニティの中で最も広く通用する母語話者の発音を選択することに関わる。

国際英語(EIL)は異なる。ここでは,英語がその母語話者とのコミュニケーションのためではなく,国際的なコミュニケーションのために学ばれている。EILの話者はその言語の「外国の」話者ではなく,「国際的な」話者である。EILの対象コミュニティはもはや母語話者のイギリス人(または他の母語話者)コミュニティではなく,すべての参加者がメンバーシップを同等に主張できる国際コミュニティなのである。

Jenkins (2002: 85) ※ChatGPTで翻訳したものを筆者が修正した

とはいえ,国際英語だからといって様々な背景を持つ人々がそれぞれの訛りで発音すると,互いに通じなくなるのではないかという懸念が出てきます。そこで Jenkins (2000, 2002) は,様々な背景を持つ人々の間でのコミュニケーションにおいて目指すべき英語の発音の中核的な特徴をまとめ,リンガ・フランカ・コア(Lingua Franca Core; LFC)という名のもとで提案しました。例えば,暗いL(dark l) [ɫ] の発音や強勢拍リズムは中核的ではないとされています(Jenkins 2002: 98)。

日本語教育における議論

土岐(1994)は,次のようなエピソードを紹介しています。

ある日系ブラジル人留学生から,次のようなことを聞いた。「留学生同士で話しているときに,よく引き合いに出される冗談があります。それは,もし,日本人にもてたいと思ったら,英語を話すときのように日本語を話せばいいということです。アメリカあたりからの留学生のふりをすれば,すぐ友達ができる…

土岐(1994: 78)

日本の大手自動車会社の工場長がタイからの技術研修生に会った時,「わたチ…じどうチャ…」などと話しているのを聞いて,引率の日本人に「この人達は本当に仕事ができるのか」と心配そうに言ったというが,これなどは,「わたチ」や「じどうチャ」などという発音の仕方が,日本語では幼児の話し方に似ているところから,勝手に人格や能力の判断にまで結び付けて出された反応であったと先ずは解釈できよう。

土岐(1994: 78)

これらのエピソードが示すように,私たちは無意識に,様々な訛りを誤解や偏見をもって捉えてしまいがちです。そこで土岐(1994, 2010)は,「聞き手の国際化」,すなわち日本語母語話者自身が(学習者の外国語訛りをはじめとする)多様な発音に対して偏見なく理解できるようになることが必要だと主張しています。そして,そのような「聞き手の国際化」のためにどのような努力をしていくべきかを論じています。

参照文献

Jenkins, J. (2000) The Phonology of English as an International Language: New Models, New Norms, New Goals. Oxford University Press. [Amazonリンク]

Jenkins, J. (2002) A sociolinguistically based, empirically researched pronunciation syllabus for English as an International Language. Applied Linguistics, 23 (1): 83–103. [論文リンク]

土岐哲 (1994) 「聞き手の国際化」『日本語学』12, 74-80.

土岐哲 (2010) 『日本語教育からの音声研究』ひつじ書房. [Amazonリンク]