音声学とは

音声学(phonetics)とは、音声を対象とした学問です。後で述べるように、音声学は言語学の下位領域とみなされることもあれば、隣接領域とみなされることもあります。

音声とは何か

では、「音声」(speech または speech sound)とは何でしょうか。

音声は音の一種です。人間の口から発せられる音は全て音声かというと、必ずしもそうではありません。例えば、咳の音は一般に音声とはみなしません。

あるいは、人間がコミュニケーションのために用いる音は全て音声かというと、必ずしもそうではありません。例えば、私たちがドアをノックするのは、コミュニケーションの一種とみなせますが、ドアをノックする音は音声とはみなしません。

音声の定義の仕方は様々にありえますが、一つの定義としては、音声は言語コミュニケーションのために用いられる音だということができます。ただし、「言語コミュニケーション」とは何かというのもまた奥の深い問題で、言語コミュニケーションとそうでないものの間に明確に線を引くことができるか、あるいは、線を引くことに意味があるかもまた、議論の余地があるでしょう。それについては、ここでは深く立ち入りません。

基礎としての音声学、研究分野としての音声学

音声学には、何らかの学問を学ぶ上での基礎という側面がある一方で、研究者たちが日々研究を進める研究分野としての側面もあります。

基礎としての音声学

音声学は言語学や応用言語学・言語教育学の分野において、基礎として位置づけられます。大学の「言語学」という科目、あるいは言語学専攻のカリキュラムにおいては、音声学はほぼ必ず扱われるはずです。日本語教育能力検定試験や言語聴覚士国家試験の出題範囲にも入っています。

ここで扱われる音声学はもっぱら、音声を発する基本的なメカニズムや、母音や子音の分類方法や、音声を記す記号(国際音声記号)です。

研究分野としての音声学

音声学の教科書に書かれていることの多くは、昔も今も実はあまり変わっていません。上述の「国際音声記号」も、過去数十年の間、大きな改訂はありません。そのため、音声学は確立された不変の知識体系であって、それ以上研究することはあまりないと思う人もいるかもしれません。

実際には、音声学は昔も今も活発に研究が行われ続けているし、(あらゆる学問がそうであるように)研究されればされるほど、研究課題が次々に生まれています。

音声学の研究がさかんに行われるのは、一つには、音声というものが伝統的な音声学が想定するほど単純ではないからです。(伝統的な音声学を象徴する「国際音声記号」の限界については、調音音声学の最後のページで扱います。)また、個々の言語の音声が常に変化し続けていることも、音声学の研究課題が尽きない理由の一つです。アプローチの面でも、客観的な手法の追求が行われ続けています。人間の音声知覚はバイアスに満ちており(そのこと自体、音声学の研究で明らかにされてきたことです)、耳に頼った音声記述は主観的で信頼性に欠けるからです。

音声学の研究は、他の学問分野と組み合わせたかたちで行われることも多いです。たとえば、言語教育への応用を志向する音声の研究は音声学と応用言語学にまたがったかたちで行われ、音声の(地域的およびその他の要因による)バリエーションの研究は音声学と社会言語学にまたがったかたちで行われます。

音声学の関連分野

言語学

上での述べたように、音声学の下位領域とみなされることもあれば、隣接領域とみなされることもあります。音声学と言語学が重なる部分とそうでない部分があり、重なる部分に対して「言語学的音声学」(linguistic phonetics)という用語を用いる研究者もいます(ラディフォギッド 1999)。

言語学の下位分野のうちで音声学と特に強く関係するのは「音韻論」(phonology)です。音声学と音韻論の関係については、別のページで説明します。

心理学

音声学は産出と知覚の研究に大きく分けることができますが(詳しくは別のページで説明します)、音声知覚(speech perception)は音声学と認知心理学にまたがる研究領域です。

また、母語の音声獲得は、音声学と発達心理学にまたがる研究領域です。

医学・生理学

音声器官や聴覚器官のメカニズムについては、医学・生理学がかかわります。

工学・情報学

工学・情報学のうちでもとりわけ音声合成・音声認識の分野は、音声学とかかわりがあります。

その他

その他にも音声学と関わる学問分野はたくさんあります。私自身、問い合わせや授業の受講生からのフィードバックを通じて、それまで思いもしなかったような分野との結びつきに気づかされることがあります。

参照文献

ピーター ラディフォギッド 著、竹林滋・牧野武彦 訳 (1999) 『音声学概説』大修館書店. [Amazonリンク]