音声の連続性

音声は連続的(continuous)な性質を備えています。連続的であるというのは、無限のバリエーションがあり、何かの尺度で測ったときに無限の中間段階があるということです。例えば川原で拾う石に全く同じものが何一つないように、私たちの「ア」の発音にも全く同じものは何一つとしてありません。

また、関連する音の間にも中間段階がありえます。例えば、日本語には「ア」「イ」「ウ」「エ」「オ」という五つの母音がありますが、その中間、例えば「ア」と「エ」の中間のような母音も、発音しようと思えばできなくはありません。また、「ア」と「エ」の中間の母音があるとすれば、その母音と「ア」との中間の母音もまた可能です。このように、いくらでも中間段階がありうるのです。

音素

音声に連続的な側面がある一方で、言語学者たちは音声に対して記号的側面も見出してきました。言語を記号とみなすのは、近代以降の言語学の基本的な考え方です。

例えば、日本語に「秋」(アキ)という単語があります。この「ア」をちょっとだけ「エ」に近づけた「ア」で発音したところで、単語の意味は変わりません。しかし、もっと「エ」に近づけると、「エキ」、つまり「駅」となり、単語の意味が変わります。つまり、母音は連続的に分布しますが、一方で「ア」として機能する範囲と「エ」として機能する範囲があるということです。そして、それぞれの範囲は、「ア」(a)、「エ」(e)という(言語)記号に対応すると考えることができます。

上に出てきたaやe、k、iは、言語学において「音素」(phoneme)と呼ばれる記号のレベルです。これらを組み合わせて aki とすると、季節の一つである「秋」を意味する言語の記号になります。このレベルは「形態素」(morpheme)と呼ばれます。言語というのはこのように、二段階のレベルによって成り立つ記号の仕組みだということができます。この言語の特徴は「二重分節性」(double articulation)と呼ばれます。そして、aki という形態素とそれが表す「秋」という意味の間には、必然性がありません。ただ日本語を話す人々の間での決まり事として、紅葉する季節を aki と呼んでいるのです。これは、言語の「恣意性」(arbitrariness)という言語の特徴です。

「音素」は言語を記号として捉えたときの単位のレベルの一つということで、言語学において重要な概念として捉えられてきました。音素を言語学的に定義するならば、意味の対立にかかわる最小の音声の単位だということができるでしょう。ただ、これは音素の定義の一部であり、音素を厳密に定義しだすと一筋縄ではいかず、言語学の様々な学派によって違いがあります。(音素の定義については、言語学の教科書、例えば風間他 2004 などを参考にしてください。)なお、同一の音素の中での異なる単音は「異音」(allophone)と呼びます。

音素という単位を認めるということは、音声に記号的な(別の言い方をすれば、「離散的な」)側面があることを認めるということです。例えば、母音の発音は無限にありうるものの、音素という記号的側面においては、日本語には五つの母音(「ア、イ、ウ、エ、オ」)しかないということです。

なお、言語学の決まり事として、音素はスラッシュで囲んで表します。例えば、音素としての a は /a/ と表記します。それに対して、異音など音素レベルより具体的な個々の音については、角括弧 [] で表します(例えば [a] )。

音声学と音韻論

音声にかかわる研究分野には、「音声学」(phonetics)と「音韻論」(phonology)があります。この二つの分野の違いは、上にみてきた音声の二つの側面、すなわち連続的な側面と離散的・記号的な側面とかかわります。

音韻論は音声の記号的側面において、どのような体系があり、どのような規則があるかを扱う分野です。例えば、次の問いは音韻論の中で扱われます。

  • 個々の言語がどのような母音音素と子音音素を持っているか。
  • その配列にはどのような制約があるか。例えば、日本語には /s/ という音素も /n/ という音素もありますが、/sn/ という音素連続はありません。snack という英単語が日本語に取り入れられると、「スナック」となり、/s/ の後に母音 /u/ が挿入されます。
  • 複合語になったときに音がどう変化するか。例えば、「青」と「竹」を組み合わせた複合語「青竹」は「アオダケ」と発音され、後続要素の /t/ が /d/ に変わります。

一方、音声学は音声の連続的な側面や物理的な側面を扱います。音声の物理的な側面について考える上では、コミュニケーションの過程という視点が欠かせません。これについては、別のページで見ていきます。

音韻論の変遷と音声学・音韻論の関係

音韻論という学問分野は20世紀前半に盛り上がり、様々な学派が生まれ、その後も理論的に変遷を遂げてきました。上で述べた「音素」という概念をめぐっては、20世紀前半の音韻論において様々な定義が試みられました。音素を定義する試みが当時の音韻論の中心的なテーマであったとも言っても過言ではありません。(この時期の音韻論の諸学派については、フィシャ=ヨーアンセン 1978 の中で詳しく解説されています。)

その後、1960年代に登場した生成音韻論(Generative Phonology)という理論(Chomsky & Halle 1968 が最初期の生成音韻論の金字塔とみなされています)においては、音素という概念の設定は、その意義自体が否定されるか、あるいは否定されないにしても中心的なトピックではなくなりました。

生成音韻論以降の音韻論では、音韻論の研究の射程が拡大し、音素よりも抽象的なレベルから音素よりも具体的なレベルまでが、音韻論で扱われるようになりました。そうした中で、音声学と音韻論の境界がどこにあるのか、音声学と音韻論がどのような関係にあるのかについても、議論が行われています。(これについては、南條 1999、Kingston 2007、Ladd 2011 が参考になります。)

参照文献

風間喜代三・上野善道・松村一登・町田健 (2004) 『言語学 第2版』東京大学出版会. [Amazonリンク]

南條健助 (1999) 「異音 : 音韻論と音声学の接点」『音声研究』 3 (1), 20-28. [論文リンク

フィシャ=ヨーアンセン、E. (1978) 『音韻論総覧』大修館書店. [Amazonリンク]

Chomsky, N. & M. Halle (1968) The sound pattern of English. Cambridge, MA: MIT Press. [Amazonリンク]

Kingston, J. (2007) The phonetics-phonology interface. In P. de Lacy (ed.) The Cambridge handbook of phonology. Cambridge: Cambridge University Press. 401-434. [論文リンク1] [論文リンク2] [Amazonリンク]

Ladd, D.R. (2011) Phonetics in phonology. In J.A. Goldsmith, J. Riggle, & A.C.L. Yu (eds.) The handbook of phonological theory. Chichester: Wiley-Blackwell. 348-373. [論文リンク] [Amazonリンク]