このページは授業用の解説ページです。学習する際に、以下を適宜参考にすることをお勧めします。
- 斎藤純男(2006)『日本語音声学入門 改訂版』三省堂 [Amazonリンク]
- 国際音声学協会ウェブサイト内の Inteactive IPA Chart
気流生成機構(airstream mechanisms)
以前に学習したように、発音は三つの面から分類できます。すなわち、気流生成機構(airstream mechanisms)、発声(phonation)、調音/構音(articulation)です。
気流生成機構は気流の起こし(initiation)とも呼ばれ(斎藤 2006、Laver 2010)、音声器官における空気の流れの生み出される仕組みを指します。音声を産出する際には、空気の流れが欠かせません。
ここで、空気の流れが一般にどのようにして生じるかを確認しておきましょう。空気は圧力の高いところから低いところへと流れます。あるところの空気の圧力が高められたり、反対に低められたりすると、圧力の差が生じ、空気の流れが生まれることになるのです。
人間の体内で、空気の流れは多くの場合、肺によって生み出されます。横隔膜や外肋間筋などの働きにより、肺の中の空間は広げられたりせばめられします。空気の量が同じであれば、空間が広くなると圧力は低められ、狭くなると圧力は高められます。そのことで肺の中と体外とに空気の圧力と差が生じれば、外から肺へ空気が流れたり(吸気)、反対に肺から外へ空気が流れたり(呼気)するのです。
音声の産出における気流の流れる仕組みは、このような肺によって生み出されるものに限りません。以下の表は、音声を産出する際の気流の流れる仕組みを分類したものです。
流出 | 流入 | |
肺臓気流機構 | (ほとんどの子音) | ーーー |
非肺臓気流機構 ― 喉頭気流機構 | 放出音 | 入破音 |
非肺臓気流機構 ― 軟口蓋気流機構 | ーーー | 吸着音 |
気流生成機構は、流出と流入に分けられ、また、肺臓気流機構(pulmonic airstream mechanism)と非肺臓気流機構(non-pulmonic airstream mechanism)に分けられます。
肺臓気流機構による流出とは肺から息を吐きだすことです。これまで扱った子音は全てこれに該当するものでした。肺臓気流機構による流入とは、肺に息を吸い込むことです。ここが「ーーー」になっているのは、このメカニズムによる言語音が存在しないからです。もちろん、肺に息を吸い込むことを私達はいつもしていますし、その際に音を出すことも可能です。しかし、そのような音を言語音としては用いる言語は発見されていません。
非肺臓気流機構には、喉頭気流機構と軟口蓋気流機構があり、それぞれ流出と流入があります。「ーーー」の部分は存在しないもので、これを除くと、3つのパターンがあり、それぞれ「放出音」「入破音」「吸着音」と呼ばれています。以下で具体的に見ていきます。
放出音(ejective)
p’
t’
斎藤(2006: 57-59)
k’
s’
斎藤(2006: 57-59)
放出音は以下のプロセスによって発音されます。
- 声門を閉じるとともに、口腔に閉鎖をつくる(または狭める)。
- 閉じた声門を持ち上げる。(これにより口腔の空気が圧縮され、空気の圧力が高まる。)
- 口腔の閉鎖(または狭め)を開放する。(これにより圧力の高まった口腔内から外へ空気が瞬間的に流れる。)
声門を閉じること、声門(喉頭)を上に持ち上げることがポイントですが、なかなか意識的にできないかもしれません。斎藤(2006: 58)の図45も参考にしましょう。なお、放出音は声門の閉鎖を伴うため、声帯を振動させることが不可能であり、常に無声音になります。
放出音は(破裂音のように)口腔の閉鎖を伴うものもあれば、(摩擦音のように)閉鎖を作らずに狭めるものもあります。前者は放出閉鎖音(ejective stop)と呼ばれ、後者は放出摩擦音(ejective fricative)と呼ばれます。このほかに、破擦音に対応する放出破擦音(ejective affricate)や側面摩擦音に対応する側面放出摩擦音(lateral ejective fricative)など、様々な放出音が世界の言語には確認されています。
放出音のIPAは、対応する肺臓気流機構の音の記号の右肩にアポストロフィーをつけることで表されます。例えば、両唇放出閉鎖音は無声両唇破裂音 [p] にアポストロフィーをつけ、[p’] と表記されます。
以下のラコタ語(アメリカ合衆国)、ケチュア語(ペルー、ボリビア、チリ)、ハウサ語(ナイジェリア)の例を聞いてみましょう。
以下の動画はラコタ語の発音の解説です。14分あたりから放出音が出てきます。
入破音(implosive)
両唇音
ɓ
歯茎音
ɗ
硬口蓋音
ʄ
斎藤(2006: 57-59)
軟口蓋音
ɠ
口蓋垂音
ʛ
斎藤(2006: 57-59)
入破音は以下のプロセスによって発音されます。
- 口腔に閉鎖をつくる。(声門は完全には閉じないのが普通。)
- 声門を下げる。(このとき、声帯はふつう振動している。)
- 閉鎖を開放する。
放出音が声門を上げるという動きを伴っていたのに対し、入破音は反対に声門を下げます。また、放出音が声帯振動を伴わなかったのに対し、入破音はふつう声帯振動を伴う(つまり、有声音になる)という違いもあります。(ただし、無声の入破音は不可能ではありません。)斎藤(2006: 58)の図46も参考にしましょう。
入破音のIPAは上に示す通りです。無声入破音はまれであり、表記する場合は無声の補助記号を用いて表されます。入破音において閉鎖は必須であるため、摩擦音に対応する記号などは用意されていません。
以下のシンド語(インド)の例を聞いてみましょう。
吸着音(click)
両唇音
ʘ
歯音
ǀ
(後部)歯茎音
ǃ
斎藤(2006: 59-61)
硬口蓋歯茎音
ǂ
歯茎側面音
ǁ
斎藤(2006: 59-61)
吸着音は私達が舌打ちなどの際に用いる音です。日本語話者は舌打ちを言語音として用いていませんが、言語によってはこの音を言語音として用いています。
吸着音は以下のプロセスによって発音されます。
- 軟口蓋とそれよりも前の位置の二か所に閉鎖を形成する。(二か所の閉鎖の間の部分に空気が閉じ込められる。)
- 舌の中央部を下げる。(閉じ込められた空間の空気の圧力が下がる。)
- 前方の閉鎖を開放する。(空気が内側に流れ込む。)
- 軟口蓋の閉鎖を開放する。
斎藤(2006: 60)の図47も参考にしましょう。
ところで、私達が舌打ちをするときには母音を伴いませんが、吸着音を言語音として持つ言語においてはたいてい、直後に母音を伴います。吸着音それ自体を出すことはあまり難しくないと思いますが、吸着音に母音をつけて発音するのは、慣れないうちはけっこう難しいかもしれません。
なお、吸着音は軟口蓋の閉鎖を伴うため、軟口蓋音を前に付して表記することがあります(例:[k!])。また、無声音だけでなく、有声音や鼻音の吸着音もあり、それらを表記すると [ɡ!]、[ŋ!] のようになります。
吸着音を言語音と持つ言語はアフリカに限られており、特にアフリカ南部の様々な言語にみられます。コサ語(南アフリカ共和国)、ズールー語(南アフリカ共和国)、ナマ語(ナミビア)の例を聞いてみましょう。
以下はコサ語とナマ語の吸着音の動画です。